第3話



 窓の向こうで雪は 降り続ける。
 次から次へと形を変えて、触れれば消えてしまうほどの儚さで……。
 この恋がどうなるのか、あまりにも不確かでとらえ所がなく、そんな雪の脆さにそれは似ていた。

「おめでとう、二十二歳か……」

 突然、隣に立つ真澄が腕時計に目をやるとそう言った。そのタイミングにも驚いたし、真澄が自分の誕生日を知っていた事にも驚いた。

「いつの間にか、大人になったな」

 深夜0時のその人は、ただ穏やかにそっと笑う。

「知って……たの?」

「知ってるさ」

「どうして?」

 驚きのあまり、口調から敬語が剥がれ落ちる。

「君の事は大抵知っている」

「じゃぁ、私が今何考えてるか当てて下さい」


 ──あなたが好き。
 ──あなたが好 き。
 ──あなたが好 き。


 じっと真澄の瞳の奥を見つめる。これで通じたら奇跡だ。
 しばらく真澄も同じようにこちらをじっと見つめるが、ふいに目を逸らすと苦笑を漏らした。

「……わからない」

「ダメじゃないですかっ」

 一瞬緊張した二人の間の空気が、紐を解いたようにふわりと和らぐ。胸の一番の奥の部屋に、鍵まで掛けてしまい込んだこの気持ちが、そう簡単にバレるはず はない。ホッとする一方で、何をしても、どんな事をしても、自分の気持ちは永遠にこの人の元へは辿り着けないような気がして、それもまた少し哀しかった。

「子供の頃、二十二歳って、もっと大人だと思ってました。なってみたら、昨日までの私と特に何も変わりなくて……。そんな誕生日を境に突然大人になった り、変ったりする訳ないですよね」

 そう言ってマヤは笑う。

「まさか二十二にもなってキスもした事ないなんて、思ってもみませんでした」

 自虐的に乾いた笑いを纏いながらそう言って真澄のほうを向くと、射るようにこちらを見つめるその視線に、体の芯がぐらりと揺れる。

「キスぐらいしてやる」

 部屋の空気が一瞬にして濃密になる。突然、酸素の薄い部屋に放り込まれたように息苦しくなる。

「いいんですか?」

「誕生日だ」

 そう言って真澄は柔らかく笑う。大人の男の笑みとも言える、感情を複雑に織り込んだどこか影のある笑みだった。

「目を閉じて……」

 棒立ちになるばかりのマヤへ真澄はそっと近づくと、両肩に触れる。まるで空の満月に背伸びをしてキスするように、マヤは上を向く。
 
 柔らかな感触が唇にそっと触れる。
 冷たいと思っていたその人の唇は、思いのほか温かく、唇を伝って、孤独に震える空虚な胸の中を僅かにでも満たしていく。そしてそれをもっと欲しいと体は 訴える。

「もっと……」

 ゆっくりと離れていった唇に縋るように、マヤは小声で囁く。熱を孕んだ吐息が、二人の間に零れる。

 再び合わさる唇。
 今度は先ほどよりも深く、長く──。

 唇の表皮を溶かすように、強ばるマヤの緊張を溶かすように、真澄の唇が丹念にその輪郭を攻める。やがて顔を斜めにした真澄が、より深く唇を抉ったかと思 うと、その舌先が口腔内を蹂躙する。
 ビクリと一瞬、体を震わせると、大丈夫だとでも言うように、両肩に置かれた真澄の手がなだめるように撫ぜる。意思を持ち始めたマヤの手が、縋るように真 澄の両腕を掴んだ。

「速水さん……、もっと──」

 どうしてもやめて欲しくなかった。離れるなんてもう出来ないとすら思う。

「もっと、なんだ?」

 耳元で低く掠れた声がそう囁く。ゾクリとした感触が、マヤの背中を駆け上がり、思わずのけぞる。

「キスだけじゃなくて……、もっと……教えて……」

 まるで砂漠で水を求める憐れな旅人のように、マヤはそう喘ぐ。

「誕生日の夜だから、いいでしょ……?」

 次の瞬間、真澄の中の何かが外れたかのような勢いで激しく口付けられる。二人の間に存在する全てのものをなぎ倒すほどの、嵐のようなキス。激しく求め合 うキスを交わしたかと思うと、突然真澄に引き剥がされる。

「いいのか?」

「え?」

「抱いたら、もう戻れなくなる」

 戻るとはどこにだろう?
 何も知らなかった無邪気な子供に? あるいは所属事務所の社長と女優というビジネスライクな関係に?
 そのどちらに戻れなくてもいいとマヤは刹那的に思う。

「どこにも戻れなくてもいい。ここじゃないどこかだったら、どこでもいいのっ!」

 そう叫ぶとマヤは引き剥がされまいとするように、真澄の胸に縋り付く。

 雪が降るほどの寒い夜だから、一人ではいたくない。
 誕生日の夜ぐらい、孤独に胸を押し潰される前にこの人に抱かれたい。

 それがたとえ、今宵一日だけの魔法だったとして、明日には雪が溶けるように全てが消えてなくなったとしても、今はこの温もりに包まれていたい。その想い をひとかけらだけでも、真澄に分かって欲しいとマヤは思う。

「……わかった──」

 低く艶のある声が、耳元でそう告げる。
 運命がぐらりと傾く。


 窓の外の雪はいよいよ強さと激しさを増す。
 この世の全てを覆い尽くすかのように。

 そうして二人は、降りしきる雪の中に閉じ込められる。
 孤独と孤独がせめぎあう、ガラス張りの美しい都会の一室の中に……。
 





2018 . 2 . 24




…to be continued


 












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